2009年9月北アルプス縦走(栂池〜白馬〜親不知)


(2009年 9月19日 〜 22日:3泊4日 テント3泊)

栂海新道:
小野健氏ら「さわがに山岳会」が昭和36年から切り開き、保全している親不知から北アルプス朝日岳に至る約30Kmに及ぶ縦走路。(「山族野郎の青春」山渓新書・昭和46年出版)
表題は同行者ゆきさんのレポートにリンクしています(詳細はそちら...ということで ^.^;)

9月19日(土):栂池高原→白馬岳

白馬大池から小蓮華山への稜線
日本海、特に糸魚川周辺には若干の思い出がある。 昔、20年以上も前、松本に約5年程暮らしていた。 まだ上高地のバスターミナルまで車で行けたころである。今のように 本格的に山はやっていなかったが、 春は鉢伏山のニッコウキスゲ、秋は乗鞍高原の紅葉、冬はスキーとそれなりに 田舎暮らしを楽しんでいた。そして、まだ不慣れなハンドルを握って、夏は乗鞍(山頂付近まで車で行けた)等の高地に避難するか、山深い小谷村から大糸線に沿って 糸魚川、そして日本海に出て能生の石ころだらけの海岸で海水浴をしたものだった。 ヨチヨチ歩きのU太を連れて...

夏が終わり秋も晩秋になると北の白馬方面がまず白くなり、冬の訪れが 山の白さとともにだんだん近づいてくるのが視覚的に分かるのである。 常念、そして有明山が白くなると本格的な雪の世界が白馬の向こう(日本海側) を支配していることになり、おいそれとは行けなくなったことを自覚した。 それから神奈川に越し、U太と共に本格的に山をやり始めたころ、ふと 「栂海新道」という道があり、親不知まで行けるということを知った。 U太に「能生の海岸」を憶えているかと聞いたら、微かながら憶えているようだ。 ならば、いつか白馬を越えて20年振りに翡翠海岸を歩いてみようと 決まるのに時間はかからなかった。


朝6:30の栂池高原駅発のゴンドラと次のリフトに乗って栂池自然園に。 同行者は、一度見た顔は決して忘れないという天賦の才をお持ちの、ゆきさん(通称ゆっきーお嬢様 、刑事にでもなってれば今頃は...)。白馬までは他にロビンさん+師匠、監督+emiさんペア、 それと食う寝るさんの計8人。 そろそろ紅葉も見頃
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白馬乗鞍岳 白馬乗鞍を越えると白馬大池。
気持ちの良いところで、いつかテントでマッタリしてみたい。
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反対側から振り返ってみる白馬大池 軽やかに先行するゆっきーお嬢様です。
小蓮華岳に繋がる気持ちの良い稜線 白雲を黒くくりぬいて...
雲は若干あるものの、気持ちの良い稜線を小蓮華、三国境を目指す 小蓮華を越すと白馬岳がはっきりと見えてくる
雲に浮かぶ白馬岳(右)と杓子岳をバックに食う寝るさんとゆきさん 三国境から白馬に伸びるトレイル
三国境
明日、我々栂海新道3人組は白馬からここまで戻って、雪倉岳・朝日岳を目指す。
中央白っぽいのは鉢ヶ岳、そして雪倉岳へと続く稜線。
師匠、なかなか決まっております。 白馬の痩せ尾根手前。後ろは歩いてきた稜線。
白馬岳山頂手前 白馬岳山頂にて

9月20日(日):白馬岳→朝日小屋

白馬岳を越え、三国境から雪倉岳へ
後ろは左から白馬岳、旭岳、そして右奥は劔岳
二日目からは3人旅となる。まず、 白馬岳に登り返し、三国境から雪倉岳、朝日岳へと向かう。 流石に3000m近くの稜線ともなると、風圧も馬鹿にならない。 上下しっかりとレインウェアーを着こんで、よろけながら 白馬山頂から痩せ尾根を三国境へ。昨夜は氷が張る寒さ。 朝から身を切るような冷たい強風が吹き荒れていた。 翌日は一転して無風灼熱地獄になることを、このときは想像も できない状態だった。三国境を過ぎると風もおさまり、 気持ちの良い稜線歩きとなった。すでに花の時期も過ぎ、 あちこちにチングルマやコマクサの葉が紅葉している。 もちろん、花の時期も良いだろうが、こうやって足元の名残 を見ながら最盛期に思いを馳せながら歩くのもオツなもの。

白馬岳山頂に登り返す。後ろは町営白馬山荘と昨夜の天場が見える。 三国境
稜線は身を切るような冷たい風。
中央は雪倉岳、その左後方に朝日岳。
コマクサの紅葉 朝日のブロッケン現象...じゃないけど
鉢ヶ岳の横を過ぎると雪倉避難小屋と、その後ろに立派な雪倉岳が 雪倉岳山頂
旭日岳、白馬岳をカメラに収めるゆっきーお嬢様 カライトソウ(唐糸草、バラ科)
朝日岳に向かう気持ちの良い水平道 終わりかけのタムラソウ(田村草、キク科 ):アザミに似るが棘がない。
全く別にアキノタムラソウとかナツノタムラソウ(共にシソ科・アキギリ属)というのがある。何と紛らわしい...
朝日小屋の三角屋根が見えてきた 朝日小屋
天場は小屋の前。気持ちの良い天気と日本海を肴にビールを飲み、惰眠を貪る。

9月21日(月):朝日小屋→白鳥小屋

アヤメ平先からの稜線遠望
左隅は初雪山(北国の初雪とは素敵な名前だ)、中央奥の薄い三角が白鳥山、手前が犬ヶ岳、右奥の薄い山は(青梅)黒姫山
3日目は朝日小屋から白鳥小屋まで。縦走中最もハードな行程となる。 朝日岳を越えアヤメ平の先から一望する本日のトレイル。中央の白鳥山左手前の台形のような山が犬ヶ岳で、その下に栂海山荘がある。白鳥小屋は白鳥山山頂にある。 どちらもまだまだ遠い...
ゆきさんとはとにかく栂海山荘での状況で白鳥小屋まで行くかどうかを 決めるという話になっていた。しかし、今まで2日間、しっかりとした 歩きに内心「白鳥小屋」は確信していた。もちろん、こちらもマダマダ大丈夫...だったはずが 昨日の寒さが一転、無風灼熱の世界となり、暑さがボデイブローのように効いてきた。

夜明け直前の朝日岳山頂 朝日岳の夜明け
吹上のコル(栂海新道の始まり) 栂海新道の始まりは尾瀬を思わせる木道と景色。全ての板には滑り止めの溝が刻んであり敷設した作業者の苦労というか意気込みが感じられる。
照葉ノ池 長栂山
これからのルートを一望するのに丁度よいピーク。
アヤメ平、黒岩平と暫くはこのような気持ちの良い湿原のトレイルが続く。 そして黒岩山から本格的な栂海新道のアップダウンが開始する。 既に風は無くなり、ジリジリと日に照らされながら我慢・我慢の体力勝負となってきた。
イワショウブ(岩菖蒲、ユリ科)
柄がネバネバしていて虫がくっつくことから別名ムシトリゼキショウ。
犬ヶ岳山頂
蒸し暑さに手前の北俣ノ水場では1L以上をがぶ飲み(冷たくて非常に美味しかった)。
犬ヶ岳山頂から見る栂海山荘
先に進むには相当下ることがわかる。
栂海山荘前から見る白鳥山
まだまだ遠い。手前の白いガレの山が下駒ケ岳、痺れるような 直登大急斜面が待っている。手前にも菊石山(「菊石」とはアンモナイトのことらしい)等、幾つかのピークがある。
やっと着いた白鳥山荘
サワガニ山辺りから足元にはミヤマママコナが咲き始め、高山から里山になったことが分かる と同時に暑さで汗が噴出すようになった。汗が目に入り前が見えなくなることもしばしば、 そんな状態での下駒ケ岳の登りはキツかった...
ゆきさんは小屋の2階、我々はスペースが無かったのでここでテント。この後、数組が同様にテントを張った。

9月22日(火):白鳥小屋→親不知

辿りついた翡翠海岸(親不知)
4日目は白鳥小屋から親不知・日本海のフィナーレ。 栂海山荘(前日)を過ぎると、岩稜や池塘あふれる壮大な景色はもはや 無くなり、平凡な樹林の路となる。昨日までとは打って変わり、 ただ足元だけを見ながらひたすらゴール目指して黙々と下る。 樹林の合間から時折見える日本海とコースの地味さがかえって、 波と戯れる姿を否が応にも想像させる。 五感全てを海だけに集中させて歩く、ある意味、心憎い演出かもしれない。

アキギリ(秋桐、紫蘇科):主に北陸地方に限られる。関東を含めキバナアキギリ の方が広く分布している。 坂田峠
手前の急坂は金時坂というらしい。 では、足柄山の「坂田金時」との関係は? というと、わからない...
北アルプスの北端、いや、開始か...
とにかく、この方向から降りてきました。
登山口の親不知観光ホテルから、海岸には手前の階段を約80m降りないといけない。
ザックはホテル手前に置けるが、ここはやはり担いで降りないと格好がつかない。
親不知観光ホテル。
1500円でお風呂に入れ、親不知駅まで車で送ってくれる。前の道路を歩くのは危険だし、お風呂は絶好の展望なので利用しない手はない。
ひなびた感じが何とも好ましい親不知駅
レトロな大糸線
親不知から北陸本線で糸魚川まで。糸魚川で特上寿司を食べてから大糸線で南小谷駅。 昔、大糸線を見ながら糸魚川を往復した道を今度は逆に車窓から旅の余韻に浸りながら眺める。 景色はそれほど変わってはいない。ただ、景色そのものが珍しくなってきたのだろうか? 南小谷まで、道の至る所でカメラをこちらに向ける(鉄道マニア?)人が多かったのには驚いた。 南小谷駅からバスで栂池高原まで行き車を回収。ゆきさんは真っ直ぐ帰宅。我々は 小谷温泉(山田旅館)に一泊して長旅を終えた。

雑感

最終日にパラリと降られただけで天気は良かった。ただ、氷張る白馬から無風灼熱の日本海と温度変化は激しい。オマケにアップダウンはかなりのもの。骨太でタフなコース。 それだけに日本海の波に触れたときの感動は格別。 秋なのに、この暑さは予想外だった。多分今年は特別だったかもしれない。 当然ながら、夏は相当消耗することを覚悟しないといけないだろう(虫も)。 咲き誇る花と引きかえに...

衣類

ザック重量

約20Kg弱(水を含む)